【最近気になる情報・意見】安すぎる「食」の価値を見直す時期が来た

山本 謙治(株式会社グッドテーブルズ:代表取締役社長)

今日本という国は食に関するさまざまな価値観を仕切り直す時期がきたのではないだろうか。その直接的な契機は穀物・原油・肥料の高騰、そしてあいつぐ偽装事件などの外在的な問題によってもたらされているといえる。

誰が「食」を安くしたのか
企業が偽装事件を起こす背景には、彼らが「そうせざるを得なかった構造」があったのではないか。買い手である消費者から安値を要求され続けることで疲弊し、偽装をしなければ利益を出せないという構造だったのではないだろうか。
そうであれば、日本の食の問題は、消費者が安い食品を買いたいと欲することから始まっている。そして、彼らのいう「安さ」は、現在では安い輸入品によって実現される価格であり、日本における正当な食品価格とは乖離している。
生産・製造と流通の段階にきちんと利益が生まれ、再生産可能となる正当な価格で食品を買い支えない限り、こうした問題はなくならないのではないか。 日本においてやっと「まっとうな食の価格とは何か」ということを議論できる時代がやってきたのかもしれない。
安値輸入食品が「食の価格」つくる
生鮮食品や日配品の価格は長い間、安値安定であった。国民はそれが当たり前と思っているようで、ちょっとでも値上げと言う話になると、たとえばテレビの ニュースキャスターが眉間にしわを寄せて「庶民のふところには本当に痛い話です」などとコメントする。

それにしても日本では、「食べ物は安くて当たり前」というおかしな常識がまかり通る変な国だ。さまざまな物価が上昇する中で、食品の価格が概ね横ばいということは、相対的みれば、安くなっているということに他ならない。
実際には、こんなに食品価格が安くなったのは、ここ20年くらいの話のはずだ。
中国などの開発輸入が始まり、「品質はそこそこだけど、安いじゃないか」との評価で利用が進み、いつしか「これを使えば利益がとれる」と輸入品ありきの食品生産の構造にシフトしてきた。

バブル崩壊以降、冷え込んだ消費者がより安いものを欲するのに合わせてスーパー・外食・中食すべてが安値を求めた。その結果、フードチェーンに連なるすべ ての業者が収益を悪化させている。もともと利幅の少ない食品分野で、安いものしか売らなくなるのだから、それも当然といえば当然だ。そうして、今の「食の 価格」が形成された。消費者すべてが漠然と「牛丼は○○○円程度」「かけそばは○○○円くらいがお値ごろ」というように、適度なレベルと考える価格だ。で もそれは、圧倒的な安い輸入食材がベースになってできたものなのだ。

その価格は、安いものが輸入できて、それを消費者が何も疑わずに買うという前提の上に成り立っている。
しかし今はどうだろうか? 消費者は「目の届く範囲で作られたものじゃないと嫌だ」というようになった。しかも、「価格はこれまでどおりじゃないと嫌だ」と言う。
日本の食は高くない。いや、むしろ安すぎるから、さまざまな問題が起こっているのだ。

「新鮮で安全で安い」はありえない
いつの間にか日本では、「お客様中心主義」、わがままなお客様が求めるのは「新鮮で美味しくて安全で、しかも安いもの」である。鮮度の高いもの、食味のよ いものを、安全性を確保すること。これらはすべて価値である。価値創出にはお金がかかる。それなのに「安く」というのは、そもそも両立するわけがない。
日本における食品の生産・流通構造は、諸外国と違い、高コスト構造になっているということは事実であるが、耕地面積が小さい中で、異様に審美眼の発達した日本の消費者向けに生産をするのは高コストになって当たり前だ。
農林水産業には開き直りが必要だ
農林水産業はもはや「産業」ではないんだと言い切ってしまった方がいいのではないか。
危機に瀕したとき、農林水産物は食べることができるが、工業製品は食べられない。
補助金を出すくらいで「国民が食えること」を確保できるならば、安いものではないか。
農林水産業を保護しなくなったら、日本の食は確実に今よりも悪いものになるはずだ。
食の倫理は、資本の論理とは相容れないのだから。食の安全と安心の基盤は、いまなら まだお金で買える。それならば買っておくべきである。
農林水産業に対する理不尽な物言いをする人たちが多い一方で、食のあるべき姿を問う姿勢を持つ消費者も増えて来つつある。いわゆる「意識の高い人たち」で、ごく一般の消費者の意識レベルが高くなってきているように思う。
そうした人たちが口にするのは「消費者も馬鹿じゃない」良いものが高くなるのは当たり前。高いものばかり買えないけど、可能な限りよい選択をしたい」という。
良いものを求める人が増えてきた
このように、安さを求める消費者が多く存在する一方、意識の高い消費者層も拡大している。階層格差社会の到来を実感するわけだが、弱い消費者を守ることが 必要なように、弱い生産者・流通業者も守らなければならない。そのためには、現状をきちんと理解してくれる消費者の存在が不可欠である。

「食の問題」とは「消費者の問題」にほかならない。
食文化というものは消費者が維持していく努力をしない限り、確実に衰退してしまう。
欧米諸国では、エスタブリッシュメントが率先して「他の料理より、うちの町の方がうまいうまいぞ」と誇らしげに言い、安い輸入品よりも自国産の商品を買い支えることを優先するそうだ。
果たして日本にはそういうエスタブリッシュメントが存在するだろうか。

過去、日本は国民の食に対する感覚が鋭敏であることを誇ってきた。しかし現在日本の食文化は明らかに崩壊に向かっている。自宅で料理する文化が減退し、外で食事する食の外在化が進展しているのだ。
食卓をコーラと菓子パンで満たす家庭が本当にあるのだから「鋭敏な味覚」もなにもあったものではない。「食の安全・安心が問われている」というけれども、本当に問うべきは消費者の姿勢である。
専門家からすれば、安全なものを、風評で判断して不買する。そうした消費者がいる限り、社会的なコストは跳ね上がっていくばかりなのである。

買い支えることこそ安全な食の道
しかし、ここで大事なことは、豊かな食の世界を実現するため最も力を出しうるのもまた、消費者である。食の安全と安心を獲得したいのであれば「買わない」ことよりも「買い支える」ことが有効だ。
たとえば、消費者が店頭で「○○はないの?」と一言聞き、「これ、高いけど、いいものだから買うわ」と行動する。その場合、小売業者は「ああ、少し高くともいいものは買ってもらえるのだな」と判断する。
都内のスーパーで同時多発的に「○○ってないの?」という質問が上がれば、どうしたって小売業者は、その商品を、その商品を売れ筋と見て、仕入れようとするだろう。
そうしたプラスの購買活動をしていくことが、これから消費者にますます求められる。

今、すべての食品価格が上がっている。穀物や原油価格の高騰が主因だというが、それだけではない。安い輸入原料ではなく国産原料にシフトしたことで、ベー スラインの価格が上がるのである。そもそも安い輸入食品の存在によって形成された価格自体がバーチャルな、あってはいけない安値だったのだ。
だから消費者は、二段階の値上げを迫られることになる。確かに厳しいことだけれども、二段階目の値上げ分には別の意味がある。どんなに安くとも輸入品を買 えば、そのお金は海外に流出してしまい、戻ってこない。高くとも国内の製品を買えば、それは日本の生産者・流通業者の懐に入り、彼らが消費することで、国 内に還流されるのだ。

(AFCフォーラム2009.8月号  農林漁業金融公庫発行)